豊田軍旗の幡竜

900年程前の本当にあった?お話のはじまりはじまり〜。

法光寺の近くを鬼怒川が流れ、川を行き交う船頭達はその昔、豊田氏の軍勢が旗を掛けたという「旗掛けの松」を見て鬼怒川を航行する目印にしていたという。

この名物の松は高さ25メートル、太さは大人4人で抱える程あったというが、昭和17年の落雷で焼け、今は孫松の若木が往時をしのばせている。

この豊田軍旗には「戦記物語」が有る。

今から900年程前の事、「後三年の役」で、川曲郷赤須(下妻市)の赤須四郎平将基は、陸奥守源義家陣に馳せ参じた。彼は最上川の戦いで、増水の為川が渡れず困っていた義家軍の先頭に立ち、檄を飛ばして川を渡り清原家衛(いえひら)を撃った。この時、将基(まさもと)の軍旗に描かれた2匹の幡竜が旗から抜け出て義家軍を奮い立たせたという。

この戦功により、将基(まさもと)は、豊田郷(石下町)を恩賞に貰い、19代480年続いた豊田氏の祖となったと言う。

   

現存しているのは、軍旗の幡竜の顔の部分だけである。