平成13年7月22日

 

東京は、連日うだるような暑さです。あんまり暑くて蝉も姿を見せなかったのに、昨日バレーボールの練習帰りに初めて今年の蝉の鳴き声を聞きました。蝉もこの世に出てくるタイミングを待っていたのでしょう。私はここにこうしていきているんだよ!とでも言いたげに一生懸命鳴いていました。                           

バレーボールで知りあったお友達に、筒井陽子さんという人がいました。名前の通り明るくて太陽のような人でした。子供自慢で、なにかにつけ、うちの「かっちゃん」が、うちの「たみちゃん」がと言っていました。子供さんが身体の弱かった子だったので何かにつけ気苦労が多かったようでしたが、バレーボールをしているときだけは思いっきり私に戻れると言って楽しんでいました。一度だけバレーボールの練習中に「かっちゃん」の急変の知らせが有り、飛ぶように帰っていったときに、顔に後悔の色が浮かんでいました。(なんで私はバレーボールなんかしていたんだろう)と。彼女の苦労のかいあって、かっちゃんはすっかり元気になりましたが、今度は陽子さんが倒れてしまいました。7年前の暑い夏、7月でした。何人かのお友達と会ってお茶を飲んでいたときに、このごろ体調が悪いの、今日病院へ行ってきたの、ときりだしました。ガンが彼女の身体をむしばんでいたのでした。若かった彼女の身体は癌細胞が増殖するのに時間は余りかかりませんでした。1年半後の2月に逝ってしまったのです。45歳でした。 その後長い間一緒にバレーボールを続けてきた仲間達も、引っ越しやら家庭の事情やらでやめていきました。新しい仲間も増えましたが、最初からいた仲間はもう2人きりになってしまいました。

年に一度彼女を偲ぶ会と称して集まりをしています。 もうあまり「陽子さん」の話はしません。前を向いてあるいていく私達にとって、煩雑な日常生活の話題のほうが、気が楽になれるのかもしれませんね。 でも各人の心の中には、陽子さんが生き続けているのだと思います。こうして年一度私達を結びつけてくれているのですから。

今日は 父の命日です。幼いころ父母を亡くし、房州のあるお寺に弟子として預けられた父、若干6歳だったと聞いています。 筆舌に尽くしがたい苦労をしてきたと思いますが、穏やかで優しい性格の人でした。幼いころ寂しい厳しい生活を余儀なくされたのできっと大勢に囲まれた楽しい家庭を夢見ていたのでしょう。子供が5人もいるたのしい?さわがしい家庭を私達に与えて下さいました。晩年は花の好きな母と一緒に、お寺の境内美化に努めていました。新しい庫裏ができ喜んでいたのに、半年も住むことなく入院となり、逝ってしまいました。             

7月はお盆の月(田舎は旧盆の8月)です。今は亡き人々を思い、今生かされている喜びを感謝する良い機会かもしれません。